第三幕で、物語は「壊れた世界」から「直せる世界」へ変わる。
第二幕では、天気が壊れた。火災、洪水、熱波、停電、水不足。 町は、自分がどれほど脆い構造の上に立っていたかを知った。 ヒロは、一人で全部を背負うことの限界を知り、アオイは、記録だけでは足りないことを知った。
第三幕では、二人が初めて同じ方向を向く。 ヒロの機械は、ただの機械ではなくなる。アオイの物語は、ただの物語ではなくなる。 太陽光パネルは町の屋根に載るだけでなく、町の想像力に載る。 蓄電池は電気をためるだけでなく、恐怖を朝まで遅らせる。 水の装置は飲料水を作るだけでなく、人間の尊厳を守る。
修復の機械とは、地球を支配する機械ではない。 地球と人間の関係を、もう一度優しくするための道具である。
技術は、愛の反対ではない。
愛が現場へ降りたとき、技術になる。
ヒロは、設計を共有し始める。
これまでのヒロは、自分で考え、自分で動き、自分で直してきた。 だが第三幕で、彼は自分の図面を開く。町長、学校、港、病院、農家、教会、 そしてアオイの前で、町全体を一つのエネルギー脚本として説明する。
どの屋根が太陽を受けられるのか。どの建物が災害時の拠点になるのか。 どこに蓄電池を置くべきか。どのポンプを守るべきか。 冷蔵、通信、医療機器、避難所、井戸、水タンク、港の冷凍庫。 それらは別々の設備ではなく、町が夜を越えるための登場人物になる。
ヒロは初めて、技術は一人の天才が持つものではなく、町全体で理解し、 育て、守るものだと気づく。
アオイは、物語を設計に変え始める。
アオイは映像を編集する。だが、それは被害の記録ではない。 「何が壊れたか」ではなく、「何を作れば壊れにくくなるか」を見せる映像である。
彼女は、子どもたちの顔を映す。薬を冷やす冷蔵庫を映す。 夜でも充電できる電話を映す。水タンクを映す。 屋根の上の太陽光を映す。避難所の小さな灯りを映す。
そして彼女は、町の人々に言う。 「これは環境映画ではありません。これは、私たちの町の次の脚本です。」