恋がなければ、地球は大きすぎる。
地球は大きい。あまりにも大きい。 海、森、都市、砂漠、氷、動物、食、戦争、災害、電力、政治、経済。 それらをすべて同時に愛そうとすると、人間の心は途中で疲れてしまう。
だからこの物語は、地球全体をいきなり抱きしめようとしない。 まず、一人の人を愛する。 その人が寒くないか、怖くないか、暗い部屋で一人ではないかを気にする。 そこから、部屋の灯りへ、町の電気へ、水へ、食へ、未来へと広がっていく。
ヒロとアオイの恋は、甘い逃避ではない。 むしろ、逃げられない現実の中で始まる。 停電、雨、熱波、避難所、壊れた天気、疲れた町。 その中で二人は、相手の中に「未来を守る理由」を見つけてしまう。
愛とは、未来を抽象にしないことである。
未来に、顔と名前を与えることである。
ヒロは、世界を配線で救おうとしていた。
ヒロは太陽光エンジニアである。 彼の頭の中には、いつも屋根の角度、日射、配線距離、蓄電容量、負荷、 ブレーカー、ポンプ、冷蔵庫、発電機、インバーターが並んでいる。
彼は感傷的な男ではない。 花束より、充電されたバッテリーのほうが役に立つと思っている。 長い演説より、正しく締められた端子のほうが人を救うと思っている。 それは間違っていない。
だが、ヒロには弱点がある。 彼は自分が救おうとしている人々の顔を、時々、見ないようにしてしまう。 顔を見ると、全部を救いたくなる。全部を救えないことが分かってしまう。 だから彼は、画面を見る。電圧を見る。図面を見る。
アオイは、世界を記憶で救おうとしていた。
アオイは映画作家である。 海辺の町、古い森、学校の窓、避難所の廊下、子どもの絵、 消える前の風景を撮る。
彼女は、人間が何を失っているのかを記録しようとしている。 なぜなら、記録されなかった喪失は、なかったことにされるからだ。 地球の痛みは、ニュースの数字だけでは伝わらない。 そこには、顔がある。声がある。古い町の匂いがある。
だが、アオイにも弱点がある。 彼女は機械を少し疑っている。 人間はいつも、新しい機械で古い罪を隠そうとしてきたのではないか。 地球を愛するとは、もっと静かに聞くことではないか。 そう思っている。
二人は、どちらも正しい。だから衝突する。
ヒロは言う。「今は撮影より、電気だ。」 アオイは言う。「今は電気だけじゃなく、人の顔を見ることだ。」
どちらも正しい。 電気がなければ医療機器は止まる。 しかし、人の顔を見なければ、何のために電気を戻すのか分からなくなる。
この恋物語の核心は、そこにある。 技術と記憶。配線と詩。現場と映画。太陽光と涙。 二人が互いを変えるのではない。 二人が互いを足りなくしていたものに気づかせる。