嵐が去っても、心はすぐには晴れない。
嵐の翌日、空は思ったより青かった。 それが、かえって不思議だった。 道路には折れた枝が残り、港には濡れたロープが重なり、 学校の廊下には避難してきた人々の足跡が残っていた。
町は壊滅していない。 けれど、無事でもない。 災害のあとには、いつも名前をつけにくい時間が来る。 生きていることに安堵しながら、疲れが急に体へ戻ってくる時間。 「よかった」と言いながら、何がよかったのか分からなくなる時間。
ヒロは朝から動き続けていた。 バッテリーを回収し、残量を確認し、濡れたコードを乾かし、 次の停電に備えて接続を直した。 アオイはその姿を撮ろうとしたが、途中でやめた。
彼が疲れていることが、あまりにもはっきり分かったからだ。
嵐のあとは、壊れたものだけでなく、
壊れないように耐えていた人も見える。
アオイは、手紙を書く。
アオイは映像を撮る人間だった。 それなのに、この夜は、どうしても映像では足りなかった。 ヒロの横顔、残量表示を見つめる目、眠らない手。 それらは撮れる。だが、彼に届くとは思えなかった。
だから彼女は、手紙を書いた。 送るためではない。 まず、自分が何を感じているのかを知るために。
彼女は書いた。 「あなたは冷たい人だと思っていました」 そのあと、しばらくペンが止まった。 それは本当だった。けれど、もう十分ではなかった。
彼女は続きを書いた。 「でも、あなたの冷たさだと思っていたものは、たぶん、怖さでした。 全部見てしまうと動けなくなるから、あなたは数字を見るのだと思いました」
ヒロは、手紙を読まない。
その手紙は、すぐには渡されなかった。 アオイは何度も折りたたみ、何度も開き、結局ノートに挟んだままにした。 ヒロは知らない。
ヒロは、同じ夜に別の場所で、工具箱の上に座っていた。 彼の前には、小さなメモ帳があった。 現場メモを書くためのものだった。 「港・冷蔵庫・優先負荷」 「学校・第二バッテリー必要」 「高齢者施設・充電場所を増やす」
だが、彼はその下に、作業とは関係のない一行を書いてしまう。
「アオイは、撮らない勇気を持っている」
書いてから、彼はすぐに線を引いて消した。 それでも、消した文字は少しだけ残った。